35歳 国際公務員

揺れ動く気持ちになかなか整理がつかず、この作文のお話を頂いてから一年も経ってしまいました。でも、ようやく心の整理がついてきたので書けるかな。

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大学卒業後に就職した報道機関から、海外留学中の出産を経て34歳で国際公務員に転身。任務地は、紛争地。家族の同伴や呼び寄せはできず、夫(日本人)と幼い娘と離れて暮らす単身赴任生活は1年を越えた。

娘はこの間2才9ヶ月になり、たくさんのことができるようになった。オムツが取れ、一人でお着替えができるようになった。滑り台の上り下りができるようになり、お絵描きの精度が上がり、プールや海が楽しめるようになった。たくさんの童謡を歌い、童話の音読ができるようになった。発する言葉は「音」から文章に変わり、「会話」が成り立つようになった。

この単身赴任生活、とても寂しいし、家族がとても恋しい。着任直前の一年前、胸が張り裂けそうで、飛行機の中でわんわん泣いた。別れの辛さは一年経っても変わらないし、一時帰国からの復路の機内では毎回涙が溢れ出る。娘の日々の成長の瞬間や喜びを共有できない歯がゆさは今も変わらず感じているし、一日も早く家族一緒に暮らせる日を迎えたいと努力している。でも子どもや夫への罪悪感があるかというと、ちょっと違う。今ではそう明言できるし、明言することを憚らくなくなった。一年を通じて変化した思考や感情は以下の通り。

1.遠くから愛情が届くのか不安で仕方なかった。

→ 娘には、たっぷりと愛情が届いている。単身赴任パパが一時帰国すると家庭の中に居場所がない、という昔から誰からともなく伝え聞いてきたステレオタイプのストーリーに囚われて、不安を増幅させていたのかも。そんなこと、全然ない。テクノロジーのお陰で、かつての単身赴任とは全く違う経験ができているのかもしれない。日々のやりとりや一時帰国を通じて、娘との絆はしっかりと結ばれていると確信を深めている。愛情が届いていれば大丈夫。今では、そう自信を持って言える。

2.子育てとキャリアを二律背反させたくないと志向してきた自分との自己矛盾。子育ての第一線から離れる恐怖や焦り。

→ 遠方からでも子育てしている、と素直に思えるようになった。そもそも、子育ての第一線ってなんだろう。うん、確かに日常の家事はしていないし、娘により多くの時間を注いでくれているのは紛れもなく夫だ。でも語弊を恐れずに言えば、注ぐ時間の長さ(労働集約的な子育て)でのみ愛情が届くという考えは一切なくなった。娘に届く愛情の大きさや深さは、注ぐ時間の長さにのみ依存しない(子育てとキャリアは両立中!)。

3.究極的には(選択せざるを得ないのなら)、物理的に近くにいる庇護者がひとりであっとしてもいいじゃないと考えて決断した単身赴任だったけれども、根拠となる何かしらのデータや裏付けがあったわけではない。選択せざるを得ない(できる)環境にあるなかで、あえて親ひとりの環境を作り出し選択することがいかなる帰結を生むのか不安。親業に性差の違いはないだろうという推測もまた、推測の域を出なかった。遠距離のせいで娘が動揺したり、家族の誰かが大きな怪我や病気に直面したら、家族のあり方を即座に見直そうと一年前家族会議で決めたのだけれど、「動揺」を測る明確な指標があったわけでもない。だから、正直、恐る恐る、この生活に乗り出した。

→「母親しか注げない愛情」や「母親しかできない役割」なんてこれっぽっちもなく、親業を担う上で性差による優劣はないだろうという推測は、娘の発育を観察する過程で確信に変わった。また私たちカップルにおいては、どちらかひとりを選択せざるを得ない(できる)のであれば、夫のほうがワンオペ育児力のキャパが大きいかもしれない、という読みも外れてきていないようである。「母親は子どもの近くに常にいるべき」という信念や価値観はこれっぽっちも持たなくなった。この心情の変化(恐る恐る→確信)は、娘を育んでいる環境に、圧倒的な信頼と自信が持てていることが大きい。そんな信頼と自信を持たせてくれている娘と夫には感謝と敬意が尽きないし、ナニー、シッター、デイケアの先生など、周りに愛情を注いでくれる人がたくさんいることも、本当に大きいと感じている。

4.「周り」の評価も気になった。「母」である私の単身赴任という決断は、価値観が近いと感じるごく限られた友人にしか伝えることができなかったし、「子どもがかわいそう」「母親は子どもの近くにいるもんだ」と言われる度に、娘は「かわいそう」なのだろうか、と深く考え込んでしまった。

→ 他人の評価は気にならなくなった。時折、「彼女(娘)が大きくなったとき、君の決断を誇りに思うだろう」と声を掛けてくれる人もいて、そんな言葉に励まされている。

5.新たな挑戦をする夫の成長を間近で応援できない歯がゆさ。

→ 私が単身赴任を決断した一年前、実は、夫も大きな決断をした。10年以上勤めた日本政府関係の職を辞し、米国にてそれまでの専門とは異なる博士課程への進学に舵を切った。実現したい社会を目指してお互い支え合い、磨きをかけて生きていこう、とパートナーとして歩み始めて5年。夫は、互いの分身のような存在である。夢の実現に一歩を踏み出す夫に対する最大の応援は、やりたい仕事を続ける妻・母であること。それぞれがやりたいこと・好きなことを後押しできる家庭環境は、娘の発育にもいいに違いないと家族会議で話し合って決めた。うん、だから歯がゆさは今だってあるけれど、近くにいることを優先させて、どちらかが夢やキャリアを諦めて、覇気を失っているよりも、ずっといい循環が生まれているよう感じている。

家族・子育てとキャリアとの間で下した、単身赴任という決断。苦渋の選択だったけれども、不安を払拭し、新たに形づくられた価値観に支えられて今も続いている。

そんな仕事も、もちろんバラ色ばかりではない。責任範囲の狭さや組織の意思決定の遅さが歯がゆいし、この生活を変えなくてはとの焦燥感や慣れへの危機感と背中合わせの日々。過ぎていく時間と比較して十分に価値がある経験を吸収し、存分に価値を発揮できているだろうか。あの日から、毎日、自分に問いかけるようになった。時間は遡らないし、自分の決断を嘆くことだけはしたくない。いや、しちゃいけない。だからこそ、今この瞬間、目一杯できることをやりながら、もっと効率よく時間を使い、もっと多くのことをより早く吸収し、もっと効果的に価値を発揮する方法はないか、毎日、何度も何度も反芻している。一日も早く、愛する娘と夫とともに暮らせる日がくるように、なんとか自分を鼓舞している。

肩の力、抜けているような抜けていないような。それが、今の等身大の自分。

1年後、36歳の私は、3歳9ヶ月になった娘の側に戻っていたい。そして3年後、38歳の私は、5歳になった娘に自信をもってこの時の決断を語りかけられるように、生きていたい。

記:アプリカヤ

↓ 住居は15平方メートル(6mx2.5m)コンテナ

↓宿営地敷地内

↓一時帰国の際の機内から

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